志望校選びのご参考に。親子二代のカトリック系男子中高一貫校生




以下、チチの個人の主観的な感想であり、また、学校による公式見解でもなく、教育的な効果を保証するものではございませんので、ご了承下さい。

チチとケイは、ともにカトリック系のミッションスクール、しかも男子校の生徒です(でした)。

そして、キリスト教の信者ではなく、家の宗教は、一応仏教ということになります。

この数ヶ月、母の件で仏教の考え方やしきたりなどに触れることが多く、それとの違いについて自分が受けた教育、いま、ケイが受けている教育について思うところがあり、書いてみます。

普通の学校と違うのは、神父様や先生の話であったり、宗教の授業であったり、ミサがあったり。

当時は中にいて、それが普通でしたので、あまりわかりませんでしたが、外に出てみて、少なからずの影響は受けていることに気がつきました。

ちょうど、地元の親戚の子から、私の母校を受験してみたいけどどう?という相談も受けましたので、母校やケイの学校について書いてみます。

相対的価値と絶対的価値について

神との一対一の関係からスタート。

絶対的真理、価値を追い求めることが第一で、相対的な競争や順位付けはその過程にすぎない

愛光学園「われらの信条」
サレジオ学院「走り続ける」

そういう部分が、ベースとしてあるのかなと。

個人と集団についての考え方

組織、集団の中で、与えられた環境や条件の中で個がどう振る舞うかよりも、個人の行動、自分の行いが他の人にどう影響するか、それが巡り巡って集団、世の中をどう変えていくかという考え方。

世の中を変えるためには、まずは、一番近い隣人に対してどう働きかけていくか、自分がどう振る舞うべきか。
学校の中で言えば、クラスメイトであったり、部活の仲間であったり、自分が主体的に動くところからスタートする。

サレジオ学院「知識・技術・覚悟」
サレジオ学院「心温まる体育祭」

ぼんやりした、「みんな」ではなく、まずは自分。そして、直接関係のある隣人から。

だからといって、行き過ぎた個人主義や自己中心主義で、他者を否定したり、不寛容であるというわけではなく、個人が異なるのは当然で多様性、ダイバーシティを認める。

他人が自分と違うことをしていることに関して、それがいいとか、悪いとか評価する前に、前提として人は違うのだから、何か理由や背景があるのかな?と考えてみる。

同調圧力で牽制しあうよりも、個々を活かして集団を作っていこうという方向。

個人事業主の多さ

私の母校の場合は、医学部志望が多く、多くが、医師になりました。
そして、勤務医ではなく、開業医を選んでいる人も多くいます。
また、士業についていたり、私のようなフリーランスのエンジニアやプランナーなど個人で仕事をしている割合は非常に多いと思います。

社会に出てからの独立心やリーダーシップは、こういうバックグラウンドの中で磨かれてきたのかなとも。

おのおの個人でやっていますが、連携するときは、すばやく、強固に。
仕事上でも今では、協力し合えています。

中高時代は6年間で、その後、大学、社会に出て多くの影響を受けていますが、多感な時期に受けた教育は少なからず、影響を受け今の自分の礎の一部となっていると思います。

子どもの志望校選びに際して

志望校選びの際に今の学校を含めることは、上記のような経験から自分の考えにもマッチしていましたし、どちらかというとマイペースのタイプ(自己主張が強いというよりも自分のペースで)なので、全く不安はありませんでした。

「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい。」のようなことを教えられるんでしょ?
みたいなことを聞かれることもありますが、それがすべてではなく、また、信者でなければならないということもありません。

宗教の授業も聖書を読んで、倫理面、道徳面、人生観、世の中のとらえ方のようなものを教育してくれています。

卒業年度が違っていても、教育方針に一貫性がありますので、私の母校の場合共学化はしましたが、根本的なところでブレはないかなと。

ご家庭の教育方針にあうようでしたら、ぜひ、志望校の一つとして選んでいただければと思います。

宗教系の他校については、学校説明会ではお話は聞いたことがあるものの実際にどのような教育(声がけ)がされているか、知らないことがほとんどですので、ぜひ、教えてください。

聖光学院、栄光学園、鎌倉学園、フェリス女学院、芝、興味があります。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする