母の逝去と母の日と




今週末5/14は母の日ですね。

母の日

ですが、今年の母の日、感謝を伝えたい私の母(ケイの祖母)はいません。

闘病生活の末、逝去しました。

母の死から約2週間経って

いなくなってほぼ2週間になりますが、今はまだ、世界が変わってしまったというか、バックグラウンドを失ったというか、ぽっかり穴が空いたというか、ふわふわしたというか。

自分の中では全く消化できてはいない状況です。

病室で死を看取り、お通夜、葬儀、初七日、公的機関等の諸手続、遺品整理など、死の直後はやらなければいけないことが満載で、死を悲しむ時間さえほとんどとれない状態でしたが、さまざまな行うべき事をを終え、こちらに戻ってきてからは、子どもの頃のことを思い出したり、子どもたちに伝えたい母の教えについて考えてみたり。

自分が親となって一番に参考にしているのが、自分自身の親。

どうやって親が自分を育ててくれていたか。
特に、幼少期やこれからの思春期、どうやって接してくれていたか。

一応、このブログは中学受験を中心とした子育て、子どもの成長記録のためのものですので、その観点から母のことについて書いてみたいと思います。

母の教え1(身だしなみ)

口うるさく注意するようなタイプではなく、どちらかというと穏やかな性格の母でしたが、身だしなみについては、結構、うるさく言われていたと思います。

髪の毛、服装、ヒゲ。靴は汚れていないか。

制服のYシャツは、いつものりを付けてピリッとした感じにアイロンで仕上げてくれていて、一番よく覚えているのは、給食当番のエプロンまで、綺麗に洗濯、のり付け、アイロンかけをしてから返していました。

母の教え2(礼儀)

挨拶であったり、食事のマナー(くちゃくちゃ言わせない、出されたものは綺麗に残さず食べきる)、基本的にはまずは、敬語(相手がお店の人などでも)で接するなど、大人になった今でも礼儀面では気をつけていることはたくさんあります。

勉強面

勉強面については、父にいろいろ言われていたせいか、逆に厳しくは言われませんでした。

宿題やった?テストどうだった?程度は聞かれ、できていればよしとし、できてなければ、「いかんねえ」くらい。

自分が通信制高校の中退(最終学歴中卒)であるため、やはり、大学までは出て欲しいというようなことは言っていました。

中学受験の時は、塾に任せっきりで、自宅での学習管理などもなく、生活面のサポートをやってくれる程度でした。
これは、中学、高校になっても変わらないスタンスでした。

母親にとっては子どもは自分の一部なのかも?

極論なのかもしれませんが、私の母や妻、友人、このブログの読者さん、Twitterのフォロワーさんのことを見ていて

「母親にとっては、子どもは自分の一部なのかも?」

と思ったりもします。

自分の一部だから、自分のことのように悩んだり、苦しんだり、先回りして不安にもなったり。

そんな姿を見てかどうか分からないのですが、その部分はお任せして、私は、子どもとも少し距離をおいて、並走するくらい、あるいは俯瞰する位置で見ていられたらという感じでいます。

そこでも母がやっていたこと。

とにかく黙って話を聞く(思春期には、聞いたことについてコメントをしない)、「うん、うん」と相づちを打つ。
(いろいろ葛藤もあったのでしょうが、少なくとも私にそれを見せるようなことはありませんでした)

まずは、これを実践しています。

自分の場合は、とにかく、聞いてくれることで、整理できないモヤモヤした気持ちを少しは軽減・発散できて、落ち着くことができたので。

母はいなくなってしまったけど、教えや思い出は残りますので、それを思い出して、孫であるケイたちにも伝えていきたいと思います。

今回もうまくまとめられなかったなあ。。。。
今回の件で、医療格差、地域医療、終末医療、尊厳死、葬儀、地方コミュニティなど、他にもいろいろ思うところがありますので、
また、後日追記、もしくは別エントリー投稿します。



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コメント

  1. enimo より:

    チチログさん、こんにちは^^

    とても素敵なお母様ですね!!
    私も、そういう風なお母さんになりたいです。
    なかなか、ニュートラルになれないですが..。

    お母様のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
    チチログさんも心身共に大変な時だと思います。
    ご無理なさらないでくださいませね。

    • チチ より:

      >enimoさん

      コメントありがとうございます。
      母ですが、きっと心の中では色々あったと思いますが、まずは、話を聞いてくれたことで、私はとても救われていたと思います。

      距離感や親子関係は、各ご家庭それぞれですので、形はどうであれ、ただ、子どもには、味方であること、いつもそばにいることを分かってもらえればいいのかなと思ったりもします。

      少しずつ、事の大きさを感じるようになってきましたが、日々、忙しく過ごすことで、何とか乗り越えられそうかなと思っています。