きっかけは公文から
自分の話になりますが、私が子供の頃は、町のそろばん教室や書道教室といったお教室が盛んでした。
昭和50年代の話ですね。
両親が共働きで、当時は鍵っ子というなんだかイメージのよくないキーワードなどもあり、自宅で子供が一人、親が帰宅するまで留守番しているというのは何だかネガティブなとらえられ方をしていた記憶があります。
そういうこともあり、また、同級生の多くも通っていたため、わいわいと楽しみなが学校帰りに、普通のおうちでやっているそろばん教室に通っていました。
級制度があり、10級から1つずつ級が上がっていくと賞状なんかももらえたりして、楽しかったですね。
「読み書きそろばん」と昔から言いますが、基本的な計算や暗算能力はそこで磨いてもらいました。
今は、そういったそろばん教室、盛んなところもあるようですが、うちの近所では、ほとんど見当たらなかったです。
長男の場合、そろばん教室の代わりに、公文の教室が歩いて1分ほどの所にあって、4歳から9歳まで公文に通って、算数を学んでいました。
公文の場合、年齢や学年に関係なく、できればどんどん先に進めるので、4年の冬には、中学3年の数学の課程が終了するくらいまで進んでいました。
でも、気になっていたことがあって、
- 前に習ったことでもできなくなっていることがある。
- 基本的な計算の習得を通り過ぎて、連立方程式、グラフなどが出てくるようになった。
- 図形問題がない。
- 文章題がないので、そういった問題に出くわすと面食らってしまう。
- できるまで帰れないので、延々と、長いときで6時間ぐらい行っていたことがあった。
こういったことを感じていて、先に進むよりも、計算以外のこと、小学校課程でもまだまだ、学ぶべき算数の問題はあるのではないかと考え始めました。
公文の先生にも中学受験を進められていたので、本人も少しは意識していたようです。
多様性や世界を広げてくれた中高一貫校
私自身が、中高一貫校の卒業生です。
私の住んでいた地域で中高一貫校はそこしかなかったので、選択肢はなく、迷うことなく進学しました。
同級生の半数は県外出身者で、話す言葉、関西弁だったり、東京弁(田舎にいたので、田舎の言葉が標準だったので、)だったり、医者・政治家・社長のご子息がいると思えば、私のような普通のサラリーマンの子供もいて。
考え方や生活スタイルも全く異なっていた多くの同級生と出会い、夏休み、春休みといった長期休暇には、その同級生の友達に会いに行くといって、親に旅行を許してもらい、東京・大阪まで遊びに行きました。
中高一貫校のよさの1つでもある、高校受験がないということで、中三の時、友達だけと行った旅行はいい思い出です。
地元の公立中学校高校に進学していれば、限られた校区で、比較的似通ったバックグラウンドの中でのほほんと暮らしていたと思います。
そこで身につけた、人との違い、多様性を許容する考え方、複数の選択肢から、自分に合ったものを選ぶということ、外向き思考、守るよりも切り拓いていくことに重点をおく、というスタンスは、私の中でとても重要なファクターとなっています。
あとは、本当に優秀な人というのがいて、そういった人には全然叶わないなあということ。ものすごく絶望的で残酷なんですけど、頑張ったつもりでも、ぜんぜん追いつくことがない人たちがいて、自分の立ち位置を思い知らされました。
わかった後、じゃあ、その中で自分はどうやって生きていくのか?自分に何度も問いかけるみたいなところ。これは、大人になってものすごく役立っています。
負けそうなとき、勝てなさそうなときでも、工夫次第でどうにかなるのではないかと方策を探るみたいなところは、仕事をする上でも必要なことです。
その経験を長男にも話したところ、中高一貫校に興味をもってくれました。
そのようないきさつです。
どの学校がいいか?志望校を決めるのが今の課題です。